SIAb.PROJECT

近親姦虐待トラウマからの回復と成長を語り・学び合うプロジェクト

短編集コラム

一生心の傷が癒えない、ということもない

性被害に関するニュースや文章を読むと、
『被害者は一生癒えない心の傷を負う』
といった文章がある場合がある。

被害者からしてみると、
「はたから見ると、まぁそう見えるのかもしれないけど、一生癒えない、ということもない。」
と最近思っている。

“性被害の傷”自体は、殴られて怪我をすること、お金を取られること、そういったあらゆる困難より重い、というわけではないと思う。

ただ、そこにプラスして、人から白い目で見られる(と思っていた)こと、家族からの裏切りであったことが、私にとってはとても重かった。

なぜ人から白い目で見られる、と思ったか。
『被害者は一生癒えない心の傷を負う』
という文章からもわかるとおり、世間では自分の性を傷つけられることは大ごとなのだ。

だから、ひるがえって“自分の性を守れなかった自分は、大変な罪人である“という意識、大きな罪悪感を持った。

実際、心の傷を癒すのは、私の場合数年で済んだ気がする。

病院やカウンセリングで被害の話しをして、SIAb.で同じような体験を持つ人と経験を共有し、家族面談を行って、“お医者さんが自分の味方をしてくれた”という過程で、私はけっこう癒されてしまった。

「あー、たいしたことじゃなかった。」
とさえ思う。

初めてカウンセリングに行って話しをするまで、15年ほどかかった。

初めて話しをしたとき、
「自分の世界がバラバラと岩みたいになって落ちてくる」
ぐらいの、衝撃があった。

大げさではなく、本当に一度死ぬぐらいの覚悟が必要だった。

15年経って、話す自分は大人だけど、秘密を守っている自分は子供の自分で、性的なことを話すことさえ“その子供”にっとってタブーだから。
(大人は、性について語ることが子供にとってどれだけ難しいかを忘れてしまう。)

その時も、たいしたことじゃないと思っていた。

「時代や国が違えば、自分の体験(10~15歳の間、兄に性被害を受けたこと)は、たいした事じゃない。」
と、話しをしていたら、
カウンセラーさんに
「それが間違っていたのですね」
と言われて泣いた。

泣こうと思っていないのに、涙がぼろぼろ出てびっくりした。

あんなことは後にも先にもない。
「たいしたことじゃない」
と頭は思っていても、心と体がそうは思っていなかったのだ。

一周まわって、今はまた、
「たいしたことじゃなかった」
と思っている。

傷自体は、なんらかの方法で癒える。

15年の孤独の時間に身についた、偏った考え方とはこれからも慎重につきあっていく必要はあるけど、もうそれは個性として受け入れることにした。

子供(女子)の性教育について、
「どう話したらいいのかわからない」
という悩みを、別の二人の方から聞いた。

「大事な人、信頼できる人に会うまで、自分の性的な部分は見せたり触らせたりしちゃいけない。大事な部分だから、大切にしなくちゃいけない、って教えれば?」
というと、どちらの方も、ハッとした表情をした。

「体の機能的なことを説明するのが気が重かったけど、そういう説明から入ればいいのか。」
というようなことを言っていた。

「自分たち(夫婦)が、愛し合ってセックスをして生んだ子供に、性を説明するのが、なぜ難しいのか?」
と私は不思議に思った。

「あまりにも近すぎて、難しいの??」
「自分たちが愛し合って、セックスをして、子供が生まれたということは、子供には説明できないことなの?」

傷ついていた子供の自分が首をかしげる。

私は子供のころ、幼すぎて、自分の性を守ることができなかった。
でも生き残ることはできたし、傷はやがて癒える。

自分の性を守ることが一番大事だけど、守れなかったとしても、また性が傷つくことを恐れず、人を愛することを恐れず、生きていけたらいいなと思っている。

(N)

コラム

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