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近親姦虐待の被害当事者たちがつながり・語り・学び合うためのセルフヘルプ・グループです。

麻布十番おでん日記コラム

[2009年02月12日]

加害者と被害者の意識の差

父や母がうわべだけで謝ったり、“これくらい言っておけば大丈夫だろう”というような感じで言っていると感じてしまうのは、私が人間で大人なのだからだろう・・・

場面は違うけれど、私もそんな気持ちで人に言葉を発していることがあるからだ。
だから、何となく言葉の空虚さやその背後にある “もういい加減にしてくれ” とか “しつこいんだよ” とか “あ~勘弁してくれ” という、相手の気持ちを共感してしまっているのかもしれない。

父は、その点最後に口に出して言ってくれた分、確信できた分、私に救いを与えてくれた。

母が、昨日の性被害の特集を見て、やっと被害者の苦悩を知識として取り入れてくれた。
母は、これから私を性被害者として見てくれる部分もできただろう。
今までの、“夫がいたずらした娘”から“〇〇という行為をされた 夫から性虐待された私の娘”という“性暴力被害者”になったのだ。

そして父は“性犯罪者”。

母は、“夫と娘の間にたたされて苦悩する母”から、“性犯罪者の夫と夫から性暴力被害をうけた娘の母であり、それを黙認して隠ぺいしようとしてきた私”になったのかもしれない。

苦しんで認めて心から私に謝ってきてくれたら 心から赦そう。

加害者と被害者の意識の差
赦せない自分が悪いと感じてしまう

(書いた後、母から電話 11日の枠外に書いたメモ)

母「今まで積み上げたものがなくなるのよ。」
 「今まで積み上げたものはなんだったのよ。」

私「“殺す”か“訴えたい”という気持ちもあるし、赦したいという気持ちもある。」
 「あいつが全てを認めてちゃんと説明してくれなければ」

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