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近親姦虐待の被害当事者たちがつながり・語り・学び合うためのセルフヘルプ・グループです。

短編集コラム

「少女Kの隠れた犯罪~ある子どもの罪と罰~」(4)

(3)からのつづき・・・

あの頃の少女Kに、虐待や性虐待、いじめ等について問いかけても無駄だろう。
聞く者をウンザリさせる回答しか得られなかったと思う。

仮に自分の加害行為について問いかけられたら、少女Kはこう答えたと思う。
何故そんなことをしたのか「わからない」と。
あるいはこう答えただろう。
「何となく腹が立ったから」「ムシャクシャしていた」「苛々したから」。
そんなくだらない、どこにでもある理由で動物を虐待したり死に至らしめたのか?
家族全員を殺害しようと企んだのか?
質問をした側は、少女Kの表面に出ている加害行為とその動機のギャップに呆れただろう。
少女Kの加害行為を正当化することはできないが、少女Kの背景に踏み込まなければ何も見えてこない。

しかし当時の社会や学校や大人や同世代の子ども達を責めることもできない。
彼らもまた、少女Kと同様に情報や知識が不足していたり、偏っていたのだから。
被害者でもあり加害者でもある少女Kとその両親も含めて、無知だったのだ。

少女Kはその後も、家族殺害計画を頭の中で持ち続けた。
包丁を持って母親を背後から狙ったこともあった。
就寝中に家族を石やハンマーで一人ひとり殴り殺すこと、灯油を撒いて焼き殺すことも考えた。
綿密に計算し、効率よく運ぶ方法をずっと考え続けた。

だが少女Kが10代の後半に入ると、家族殺害計画をあっさり放棄した。
少女K自身が家族の元を離れる決心を固め、実行に移したからだ。

こうして、未遂とはいえ少女Kの犯罪行為が明るみに出ることはなかった。
また両親が少女Kに行ってきた犯罪行為も明るみに出ることもなかった。
当時は誰かが命を落とさない限り、犯罪にはならなかったのだ。

今朝、小さな新聞記事に目が留まった。
行方不明の三歳男児についてのものだった。
両親の供述により、殺害されていたことが判明したのだ。
男児の死因は口にタオルを押し込まれた為の窒息死だという。
死亡前、男児は室内のペット用ゲージの中に押し込まれていたらしい。
父親がタオルを口に突っ込んだのは、子どもがうるさかったからという理由だ。
また、排泄量を減らすために三日に一度の食事制限を行っていたという。
理由は排泄の後始末が汚いから量をコントロールしようと母親が行ったらしい。
男児のゲージ監禁は三ヶ月に渡った。
死亡後、遺体は両親によって川の中に捨てられ、現在も見つかっていないという。

こんな事件も今は珍しくなくなってしまった。
今後も繰り返されるだろう。

子どもの頃、少女Kはやはり三歳前後に家庭内の浴槽で溺死寸前の経験を強いられている。
階段の最上部から突き落とされかけたり、列車の窓から飛び降りるように脅迫されたこともある。
全て両親によるものだ。
記憶に残っている両親の理由は、「言うことを聞かなかったから」というものだ。

たどたどしく言葉を話す様になった頃、少女Kには思い描いた夢があった。
大きくなって自分に子どもができたら、その子どもを気が済むまで苛め抜くというものだ。
早く大人になりたい。少女Kの切なる願いの一つだった。
もし少女Kの夢が実現して我が子が命を落としたら、大人になった少女Kも似た様な理由を述べただろう。
「躾のつもりだった」「うるさかった」「汚かったから」「面倒だったから」などだ。
幸い少女Kの夢が現実になることはなかった。

生命など大層なものではない。
死は生物としての機能を全て停止させること。
それだけだ。
命など各々が持っている細胞の集まりだ。
表面を何かの膜や肉で覆っているだけのものだ。
人間でも虫けらでも犬でも猫でも鳥でも蛙でも、基本は同じだろう。
機能停止に持ち込むのに特別な技術等も必要ない。
少女Kが学んだことだ。

一度失われた生命は、二度と機能を復活させることはできない。
簡単に破壊できるのに、復活させることができない。
失われたら二度と再生できない。
もし、簡単に復活できる命があるのなら、命にこれ程の重さを見出すことはないだろう。
たった一つ。
少女Kにとっても、他の誰かにとっても、命はたった一つなのだ。

少女Kは病院での受診時に医師から粗雑な扱いを受けることが多かった。
医師の全身からは、少女Kへの苛々と生理的嫌悪感がストレートに伝わってくる。
ある日、少女Kと同じ年頃の女の子が母親らしき女性と一緒に受診に訪れていた。
身なりの整った女の子と、医師に状況説明や治療の要望を伝える身綺麗な母親。
医師は丁寧な説明と今後の治療方針について母娘と数分話し込んでいた。
少女Kを診察する同じ医師とは思えないほどの穏やかな対応だ。
少女Kは、そのやり取りをぼんやり見つめていた。
自分の中身を空っぽに感じていた。
中身と同じように、外側も透明になってしまったらいいのに、と思った。

ペット用ゲージの中で汚物にまみれて腹を空かせて丸まっている少女K。
ゲージの外側からそれを面倒臭そうに見ている少女K。
そして監禁して死に至らしめた理由を述べる少女K。
三歳男児の記事を読みながら、そんな光景が頭に浮かんだ。

同じ頃、目に留まった文章がある。
光がある所に闇があるのではない。
闇の中から光が生まれたのだという。
科学的にどちらが正しいのかは解らない。
被害と加害の関係によく似ていると思った。
どちらが欠けても全体を見ることはできない。

奪われたものに執着して、いつまでも動かないわけにはいかない。
奪ったものに満足して、何度も繰り返すわけにもいかない。
学ぶ機会がなかったのなら、これから学べばいい。
他の大勢の人達と足並みが揃っていなければならない理由はない。
行ける所まで歩いてゆけばいい。

遠い時間の向こうで少女Kが笑った様な気がした。

おわり

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