シェア(クリニックのシェアミーティング)で、「“永遠の愛”とか、“いつも関心をもっていてもらいたい”とかって、人に求めてはいけないんだって解かった」って話したけれど、それを人は求め続けて“神”をつくったのかな??と思った。
<神はいつも私たちのそばにいて 見守ってくださっている>という言葉が浮かんだ。
他人に求めても叶わないけれど、“神” を 私” に変換すれば、生きている限りいつも願いは叶う。
私、小か中学生の時、“私が神だ!”って思ったのって、スゴイと思った。
同時に、今、同じようなことを言っているようで、少し角度というか、意味合いが違っているのも感じた。
自分に、やさしく 「私がいる」 と言える。