SIAb.

近親姦虐待の被害当事者たちがつながり・語り・学び合うためのセルフヘルプ・グループです。

短編集コラム

親愛なるリサコちゃんへ~あの時、出せなかった手紙~

『”リサコちゃん”(仮名)へ

手紙ありがとう。
返事が遅くなりました。

家の人に見つからない様に、こっそり書いています。

突然のことで驚くかも知れませんが、助けてください!
もう限界です。

前に出した手紙は、ほとんどデタラメです。
手紙の内容を何度も書き直させられているからです。
このままでは自殺に追い込まれるか、事故に見せかけて殺されるか、
一生、精神病院に閉じ込められてしまいます。

学校は楽しいどころか生き地獄です。
日常生活も授業もついていけなくて、イジメの標的です。
幼稚園から小学校の六年間、イジメのない日はありません。

家の中は恐ろしいことで一杯です。
頭を殴られない日は一度もありません。
いたたまれなくなる言葉や暴力に常に怯えています。
気が狂いそうな家特有のルールも沢山あります。

一番苦しいのは、性的要素を含んだ行為などに強制参加させられることです。
嫌な顔は絶対に許されないことです。
「笑顔」と「反省の泣き顔」を要求され続けます。

両親の前で笑顔と泣き顔を貼りつかせるのは上手くなりました。
学校にいる時は、周りの女の子達の泣くタイミングを見て真似ています。
笑う時も同じです。
自分一人では、どういう感情が許されるのか?解らないのです。

リサコちゃんのおじさんとおばさんに頼んでもらえないでしょうか?
私をかくまってもらえないかな・・・・?

もし助けてもらえるなら、こっそり連絡をください。
家の人に見つからない様に荷物をまとめて、夜中に出ます。

絶対にあの人たちに私のことを引き渡さないでください。
家の秘密を外にばらしたら、私は殺されます。

怖い。死にたくない。助けて。

 ”幼馴染のけいより”』

小学生時代のことだ。

幼少時に引っ越して行った幼馴染から、数年ぶりに突然手紙を受け取ったことがある。
何通かやり取りを行ったが、勿論、この様な返事を出したことはない。
正確には出したくても出せなかった。
上の手紙は、当時小学生だった私が、出したくても出せなかった架空の返事だ。

実際の幼馴染との手紙は、毎回、母親にチェックされていた。
文面に、少しでも家や学校の問題に触れる様な箇所があると、書き直しをさせられた。
遠回しの文章や、暗号化した様な物言いも、無駄な努力に終わった。
手紙の文章を母親が考えて、そのまま私に書かせることもあった。
これらの経過は、仕事から帰宅した父親にも口頭報告が行われた。
こうして仕上がった中身は偽の手紙は、ようやく投函が許される。
私がこっそり手紙を出せない様に、住所が書かれた手紙の封筒は母親が保管していた。

今考えると、当時の私の文章力や知識では、的確に家庭内のことを伝えるのは不可能だ。
それでも両親が徹底した隠蔽工作を行ったことは、自分達の子どもへの行為が、
社会的に絶対に許されないことを十分承知の上だったということになる。
私はそう推測している。

幼馴染と文通をしていた頃、1~2度、当人から電話をもらったことがある。
母親が電話を取り次ぎ、会話中は全て監視されていた。
私が話に詰まったり、様子がおかしいと判断すると、受話器を取り上げて言い訳をした。
「この子は、相変わらず自分のカラに閉じこもって大人しいのよ」と。
また、当たり触りのない台詞を横から呟き、私に言わせたりもした。
これはこの時に限ったことではない。
親による手紙、電話、日記などのチェックは、あの家では日常茶飯事だった。

”リサコちゃんへの手紙”が私にとって重要なのは、誰かに助けを求めたいと強く突き動かされた、一番最初の出来事だからだ。

やがて、何通かの手紙のやり取りと電話の後、彼女からは全く連絡がこなくなった。
私の取ってつけた様な文面や会話にウンザリしたのか、母親の意図的な操作かは不明だ。
その後も、同性異性問わず、私に友人ができると、母親の手紙や日記や電話の会話はチェックを受けた。
時には取次ぎをしなかったり、交流を中断させる工作や助言をしたり、手紙を隠した。
ギリギリの精神状態で築かれた不安定な交友関係は、いつもあっという間に溝を作った。
私は、交友関係や人との交流の修復の仕方は全く解らなかった。
はぐれたら、孤立するしかなかった。

家を出て一人暮らしを始めても、それは続いた。
母親は、私の留守中に合鍵で部屋の中に入り込み、手紙や日記類に目を通していた。
それはすぐに解った。
隣室の女性は水商売の人で、日中は在室していた為、私の留守中に母親が頻繁に出入りをしていたことを教えてくれた。
薄い壁を通して聞こえてくる物音は、まるで家宅捜査でもしているかの様だったと表現していた。
母親は、日に何度も出入りしていたらしい。
それも、隣室の女性には異様な行動に映ったという。
これは遠回しの騒音苦情でもあったが、常軌を逸した状況を心配してくれてもいた。

私見だが、子どもに性虐待を行う者は、病的に慎重だ。
暴言暴力は、躾や家庭の方針などと逃げ口上がある。
しかし、子どもに性暴力をふるうこと―特に実の親が行うこと―は、加害者側に一切の逃げ道はない。
どんな言い訳も決して立たない。

私の両親は、それをよく知っていた。
多分、私以上に、別の視点から家庭内の性虐待が外に漏れることを恐れていた。

両親の隠蔽したがる恐怖心や不安感は、被害を受ける私の感覚と共鳴する。
そして、私の同情を絶えず掻き立て、訴え続ける。
「私達のやったことが外に漏れることを、どれ程恐れているか!
虐待と性虐待とイジメを、目の当たりにしてきたあんたなら解るでしょ!
この気持ち!」と、訴え続ける。
虐待者が被虐待児童に訴え続けるのだ。
これが最も精神的にこたえる。
共鳴し理解しながら、その状況を作っているのは信頼している親なのだから。

「怖い、死にたくない、助けて」。
虐待と性虐待が、私に残したものの一つは、文章や台詞でしかこの言葉を伝えられなくなったことだ。
感情がある様に見せかけることは出来るが、感情を伴うことはない。

私の背景を知らない人達は、そこに演技や役者の顔を見るらしい。
「役者、芸達者」「裏がありそう」「人を騙している」「本音を言わない」「現実離れしている」・・・・
公にする勇気の無い私は、その評価に甘んじるか、限界を感じて逃げるか、選択肢は限られてくる。
沈黙が、自分を更に追い込むと解っていても。
自身の選択が、更に精神を追い詰め疲弊させる。

『”リサコちゃん。
あの時、伝えられなかった私の言葉は届いたでしょうか?
もし、あの時、伝えることができたなら、その先には何があったのでしょうか?』

時代は大きく変わった。

子どもへの虐待、性虐待が堂々とメディアに取り上げられ、支援や知識を広げる動きがあちこちに出ている。
重たいテーマを、真正面から取り上げる質の高い映画も何本か作られてきている。
SIAb.と関わるようになって、映画「月光」に、心の中で声援を送り続けている。
かつて子どもだった私の声は…

これを読んでくれた誰かの中にも、届いてくれているのだろうか?

『大人になったリサコちゃんへ。
返事はいりません。イエスでもノーでも。
今はまだ、絶望に押し潰されるからです。
私は、あなたへの怒りと憎悪と嫉妬で一杯だからです。
子どもの頃と変わりません。
何故、あの時、親から手紙をひったくってでも、リサコちゃんの住所を突き止めて、全て知らせなかったのか?
自分自身の無力さ、臆病さ、弱さが許せないのです。
自分を許さないことで、まだ両親の訴えに共鳴し、庇い守ろうとする罪の重さに耐え切れないのです。』

(K)

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