自分は男性が怖いのだと理解できたのは、20代後半、カウンセリングなどの治療を始めてからだった。
それまでは、男性が怖いということさえ、絶対にばれてはいけないことだと思っていたので、分厚い仮面をかぶっていきていた。
男性と接する機会の多い仕事をしていたし、おつきあいをしていた人もいた。
学生時代、おつきあいしたことはあったものの、男性と接する機会が少なかったので、私は仕事でコミュニケーションスキルを身につけた。
短時間であれば、明るく会話のできる、“正しい女子”を演じることができた。
今思い出しても、完璧に演じれていたと思う。
明るく楽しい会話。
きれいに身支度すること。
相手を気遣うこと。
適度にセックスすること。
恋愛の始まりは、だれでも多少演技をするものだと思う。
相手によく見られたいから。
でも、そこから少しずつ本音をだして、お互いを理解していく…のだと思う。
でも、私は何ヶ月たっても演技をやめることができない。
演技をやめた本当の自分は、川の底にへばりついたヘドロみたいに醜くて、汚いものだと思っていたから。
これは、今振り返れば冷静に見れるのだけど、そのときは、その“仮面の私”が自分だと思っていたから、自分が男性を怖いってことすら忘れていた。
《私、ちゃんとできている。大丈夫。》
でも、恋愛は頭だけではできないものなので、だんだんとほころびがでてくる。
デートして家に帰ると、安心してタバコを吸った。
タバコを吸うことなんて、言えなかった。
どこまでが言っていいことか―が、全然わからないから、“明るく正しい女子” ではない部分は、全て隠さないといけなかった。しまいには、デート中に、《もう家に帰ってタバコが吸いたい》と思っていた。
デートする相手は、いい人だったから、余計に申し訳なかった。
彼が家に泊まった時、SEXもしていないのに、疲れすぎて泣いた。
泣いて相手を責めた。
でも、理由がわからない。
なんでつらいのか、自分でもよくわからかったし、たぶん、その時点で自分の本音を話し始めたら、自分が崩壊していたんじゃないかと思う。
川の底のヘドロは、私自身じゃなくて、私の心に溜め込んでいた感情だったのだ・・・と、今はわかる。
でもそのころは、全く、何がなんだかわからなかった。
そして、振られた。
「何を考えているかよくわからない。」
と言われた。
振られれば、自己嫌悪に陥り、自分の何が悪かったのかと反省し(正しくは演じている自分の何が悪かったのか)改善する。
仕事のPDCAサイクルみたいに。
頭と心と体がバラバラになっていた。
頭は《恋愛しなきゃ・・・》
体は《SEXしたい・・・》
でも、感情は男性を拒否している。
今考えれば簡単なことなのだけど、自分の感情が一ミリもわからなかった当時の私には、とても難しい問題だった。
次につきあった人にも
「何を考えているのかよくわからない。」
と言われて振られた。
いい加減、《自分、なんかおかしいのかも?》と思った。
治療をはじめたころ、転職した。
新しい会社では、男性と極力関わらないようにした。
兄から被害にあった記憶がリアルに感じられて、いやな夢もたくさん見た。
仕事中、わけもなくしょっちゅう泣いていた。
さいわい、泣いていても気づかれない程度に人と離れているので助かった。
今、私は恋愛をしていなくて、今後するかもわからない。
結婚したいし、家庭ももちたいけど、どうなるかわからない。
でも、自分の心が伴わない恋愛は、二度としたなくいし、結婚できなくてもよいと思っている。
80歳ぐらいで、「結婚願望があります」と、黒柳徹子さんみたいに言ってみたい気もする。
そんな女性はとてもかわいいと思う。
男性はまだ怖いけど、男性が好きだし、男性に求められる女性でいたいなぁ、と思う。
男性の直線的なエネルギーを感じるのが怖い。
私はトラウマがあるせいなのか、コミュニケーションをとるとき、ちょっと変な感じ方をする。
頭、心(胸のあたり)、お腹、どこで感じているかを意識する。
女性のエネルギーはやわらかくその場を共有する感じなので怖くない。
よほど攻撃的な人でないかぎり、拒否しないし、嫌いにならない。
男性は、直線的なエネルギーがバーっと入ってくるように感じるので、覚悟をきめないと心でコミュニケーションがとれない。
心が疲れている時は、頭だけでやりとりする。
ほんのわずかの人数、ほんのわずかな時間だけど、心を開いて男性ともコミュニケーションを取れるようになったことは、昔の私と比べたら大きた一歩だと思う。
あんなにたくさん演じてたけど、今は “何にもしない自分にこそ価値があるのだ” と、腹の底で理解している。
“何もしない自分に価値がある” と知っているから、おしゃれも、たわいもないおしゃべりも楽しい。
ただ歩いているだけで楽しい。
調子をくずすこともあるけれど、とてもとてもがんばってきた自分を、これからもっと大事にして、甘やかしていきたい。
(N)