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近親姦虐待の被害当事者たちがつながり・語り・学び合うためのセルフヘルプ・グループです。

ヒラケトビラコラム

夢叶えても レ・ミゼラブル!? (2)

中3の時、シンナー問題が学校に知れ、処罰を免れる為に「父が問題」だということにして逃げました。
学校からの連絡で、母は、すぐに《夫の性虐待だ》と見抜きました。
なぜなら6歳上の姉も9歳~11歳まで父から同じような虐待を受けていて、そのことを世間に隠し、父とも別れずに(現在も)一緒に暮らし続けているからです。


それを知った私は『なぜ?』という母に対する疑問が怒りへと変わっていきました。
そして、一緒に事実を封印した姉に対する怒りも次第に大きくなっていきました。《誰も信じられない…》

その頃、何度か死を考えたこともありましたが《何で私があいつ等の為に》と思うと、バカらしくて止めました。
いつしか《信じられるのは私だけ、神様は私》という強い(かたよ)った自己愛が生まれていました。
そんな生き残った『強い私』が怒りを抱き始めたのです。

『強い私』が、《お前も罪を犯しているのだ!きれいごとを言うのはやめろ!嘘を付いてばかりいるな!お前は犯罪を隠しているんだ!》そんな怒りが、見えない(とげ)のように心に刺さっている状態でした。
近親者からの性虐待は、被害そのものだけではなく、それによって引き起こる情緒的被害の問題も大きいのです。

その全てがトラウマになるのです。

そんな頃、報道やドラマなどで耳にしていたカウンセリングや診療内科という言葉を思い出してネットで検索したところ、アダルトチルドレンとか近親姦虐待などの文字をみつけました。《私だ…》。
そして、06年3月に、近所にカウンセリング専門の機関を見つけ、
カウンセリングを受け始めたのです。

そこで対面式カウンセリングを08年1月まで受けました。やっと抑え込めてきた感情を言語化することができるようになりました。
でも、担当のカウンセラーさんが、性虐待の記憶については“自分の中の安全な箱に入れて鍵をかける”方法をとり、だんだん《これでいいのだろうか?また逃げている気がする…》という疑問が湧いてきてしまいました。

『以前より強くなっていた私』が次のステップに進ませてくれたのです。

 07年4月頃、現在の主治医に診察を受けるようになりました。

初診の時、不眠や仕事の悩みを話し始めると、歳を聞かれ「38歳(当時)です」と答えると「多いんだよね、その歳頃って。そういうの。」と言われ、私は《こいつもか!何も知らないくせに!! 》と怒りがこみ上げ、性虐待のことを、怒りを込めて早口で言った記憶があります。

すると先生から「よくがんばって生きてきたね・・・。辛かったでしょう。」という一言が。私は暫く嗚咽していました。

《辿り着いた・・・》《息がつける…》本当にそう思いました。

やっと、安心して抱えてきた大きな荷物を預けられる人を見つけたようでした。

「あなたのような体験をした人は、その記憶を大勢の前で語ることでしか治りません。外傷体験の記憶は“語る”ことでしか手放せないのです。」と説明され、私は半信半疑、先生のクリニックに通い始めることにしたのです。

 7月から2週間に1度のペースで診察を受けました。通い出してすぐ、依存症のミーティングで他の患者さん達の話を聞いて《話そう!》と決心しました。
普通に生活をしているように見える人達も、人知れぬ悩みや悲しみや苦しみがあるというのを間近に感じることができ《仲間だ》と思え、自然に安心感が持てました。
考えてみれば、私自身がそうなのです。
他人から見れば、「夢を実現させて幸せね」とよく言われていても、実は『人に言えない秘密や悩みを抱えてウジウジした意気地のない女』だったのです。

何度目かの診察の時に「外傷体験を話そうと思いますが、どう話せば良いのですか?」と先生に尋ねました。
「頭に浮かんでくる映像や“その時の自分”が感じた感情や色・匂いなどをそのまま言葉にしなさい。」とアドバイスを受けました。
「全部話しても大丈夫でしょうか?聞いている人が気持ち悪くなってしまうかもしれない・・・」と不安を口にすると、「それはあなたの問題ではなくて、聞いている人、その人自身の問題だから、あなたは気にせずに誠実に語りなさい。」といってくれました。

あとは私の勇気だけです。
“底つき”した私には進むしかありませんでした。


話し始めてみると『性虐待を受けている時の私』そのものの映像が頭に広がって感覚も蘇ってきました。
それを聞いてくれている50人位の人達に向かって正確に伝えようと、言葉を探しては口から出していました。
話し終わった時には、涙が溢れて震えが止まりませんでした。
始めの頃は、2・3日具合が悪くなることありました。けれど、数日後、“性虐待を受けている私を、私自身が見ている映像の記憶”が“性虐待の記憶を語っている自分を、私自身が見ている映像の記憶”に変わっているのに気付きました。

“記憶の塗り替え”というものだそうです。

シェアした後は、話したことに対して、いろいろな感情が湧いてきます。その気付きや感情を受け止めると『新しい自分』になるようでした。《一歩、自分の道を先に進んだ》という感覚でしょうか。

でも、その道は螺旋階段のように、何度も何度も同じところを歩いているようでもありました。


先が見えない恐怖心にも何度も襲われました。《話さなければよかった》と思ったことも、正直、何度もあります。
良くなるどころか、余計に悪夢やフラッシュバックによって、まるっきり同じ外傷体験をした感覚になったこともあります。
体が硬直して動けなくなったりもしました。

そんな、回復が進んでいないような感覚になり落ち込んだ時は、クリニックの仲間が励ましてくれました。
「大丈夫、回復してるよ。」 その時の私には、それだけで十分でした。

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