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近親姦虐待の被害当事者たちがつながり・語り・学び合うためのセルフヘルプ・グループです。

ヒラケトビラコラム

学問のおすすめVol.5

このシリーズは、2011年夏頃から10回に渡って、あるNPO法人の会報に寄稿した体験談を、再編して掲載しています。

***

1991年630日 私は飛んだ。
降り立ったのはフランスの片田舎の町。

「本場で料理の修業がしたい」と、その2ヶ月前に私を置いて旅立っていった現在の夫が、既にその町のレストランで働いていた。

「落ち着いて、大丈夫そうだったらお前を呼ぶから」と私を残して、彼はさっさと行ってしまった。
不法滞在で、不法就労、おまけに給料無し。
寝るところだけは、近くのホテルの屋根裏を用意するという条件での受け入れだったので、無理も無い。
その頃、そんな料理人がフランスには何百人といた。

私は「取り残され、捨てられる」「彼を失う」という恐怖と、羨ましさから、彼から呼ばれる前に彼の地に向かった。
その頃の私には、人生の計画も生きる目的も何も無かった。
あるのは、いつか見返してやるという、恨みから湧き上がる怒りの気持ちだけ。

だから、ただ、「フランスでの生活」という何とも魅力的な響きに惹かれ、そして、過去から離れて、まったく今までと違う場所を出発点に、そこから全てを始めれば素敵でカッコいい、リッチでハイソな私になれる気がしただけだった。

とにかく、3年間の滞在予定でフランスでの生活が始まった。
支度金や所持金は、それまでの高校時代のアルバイトや給料やボーナスで貯めた、それぞれの100万円、計200万円。
それと、戻った時の為に、日本に200万円の積立保険を残して。

節約極貧生活が始まったが、ふと見渡せばヨーロッパの街並み。
そして、何もやらなくてよい日々。
夢に見た生活が続いた。
おりしも季節は初夏で、いちばんステキな季節だ。
言葉は通じなくても、彼の職場の仲間達は優しくて楽しかった。

でも、暮らすとなると話は別。
季節は変わりどんよりとした冬が近づくにつれ、気持ちは落ち込み、このままでいいのか??という不安感が湧き上がり、おまけに言葉の壁にも悩まされ始めた。
パリに移ることになり、物価の違いなどから所持金だけでは心細くなってきた。

次の職場から、彼は不法労働という理由で追い出された。
パリは大都会。
田舎と違い、人々は無関心。
みるみる所持金が減っていく。
職も無く、家もなく、2人で心が折れそうになっていた。

そんな時、在仏日本人向けの新聞で、和食のサービス求人を見つけ、私は雇ってもらえた。

評判の店は毎日満席。
あの気ままな4ヶ月はこの苦しみの為にあったのか…と思った。
その頃、私は月にチップを入れて30~40万の給料を手取りで受け取っていた。

彼は店を転々としながら修行を重ねていたが、フランス人の中で働いているので、言葉の壁が大きくのしかかっていた。そんな苛立ちをよく愚痴っていた。

彼と私の生活格差がどんどん大きくなっていった…

その頃の私は、仕事で疲れ、最初は楽しかった仕事も生活も、目新しさも面白さもなくなり、ただただ苦痛に変わり、華の都パリにいながら、それを満足に楽しめないみじめな境遇にも腹が立っていた。

そんな時、恋をした。
奥さんもお子さんもいる人だった。

今、思おうと、現実逃避の為の恋だったと思う。
その人が好きなのではなくて、その恋のストーリーに酔いしれて、そのことを考えている時は幸せだったからしてたのだと思う。

彼(夫)が邪魔でしょうがなくなった。
そんな態度はすぐにわかってしまったのであろう、ケンカが絶えなくなっていた。
恋をしている日々が、苦痛の日々に変わっていった。

そんなある日、突然、その恋人と話しをしている時に、ふと「私はこの人の何が好きなんだろう??」と考えてしまった。
何も見つからなかった。
一気に醒めて、バカらしくなった。

そして、彼(夫)に罪悪感を感じた…

「このままここに居たら、私はこの人を失う。」という恐怖感が湧き上がった。
なぜか、彼を失うことは、私の最大の恐怖になっていた。

どうにかして、この罪悪感をぬぐいたかった。
隠し通したかった。

で、帰国することにして、その前に1ヶ月間のヨーロッパ一週旅行を計画した。
チップや給料で貯めた50万円を全部使って。

ドイツ、スイス、イタリア、ギリシャ、スペインと回って、最後に最初の修行の地を訪れるコース。

私たちは、ケンカをしながらたくさんの想い出を作った。
2人で想い出しながら一生語りあえる分の想い出。
想い出の分、彼が私と別れるのが辛くなるように…

ギリシャで私はトップレスに挑戦した。経験したいと思ったことは、できる限りやってみる。やってみると、想像していた感覚と違っていたり、新たな発見が得られるからだ。

…と、これを書き続けていた次の日の夜中、また、私は大きく飛んだ。

着地点はKO病院の救急外来。

夫と2人、ワインを2本半くらい飲んで、いつの間にか言い争いになり、私は手首を切った。

死ぬ気なんて全然無かった…と思う。
「くそっ!!」という思いだけだった。
1回目、シュッとしたら全然切れてなくて、「くそっ!!」と思い、もう一度、シュッと切った。
切れたかどうか手首を見たら、作り物の手のように見えて、その切れ目が入っていて、鶏のもも肉をさばく時に見える、スジのような青白い少し光ったものが見えた。
「あっ!?」と思った瞬間、血がドボドボと溢れてきた。
「ヤバイ・・・」と思った。
夫を叫んで呼んだ。

夫は怒りながら、救急車を手配してくれたらしく、次の瞬間、私は車内で救急隊員の方の質問を受けていた。

「何やってんだろう、私…」
「自助グループの仲間やクリニックの仲間に申し訳ない。」
「S 先生に申し訳ない。」
「夫に申し訳ない。」
「救急隊員の人に申し訳ない。」とぐるぐると考えていた。

「手、動くかな??」と思っていたら、隊員の方が確認してくれた。
大丈夫らしい…かなりホッとした。
夫は隣で興奮して怒っていた。

私は隊員に、うるさいから夫を降ろして欲しいと頼んだが、それは無理と断られた。

傷の縫合中、夫は警察の方にさんざん色々聞かれたらしい。
夫も酔っていたので、言いたいことを全部言ったらしい。

私が性虐待に遭って精神科に通っていること。
何度も似たようなことをやってきたこと。
これからもやるであろうということ。

警察の方から
「入院させて治療をしたほうがよい」と言われたそうで、その時に「お前らに何がわかるんだよ。じゃあ どうしたらいいんですか?俺にはわからないですから教えて下さい。」
と言ったそうです。

帰りのタクシーの中で、彼は興奮してそのことを一気に話していた。

私はその話しを聞きながら「違うな…」と感じていた。

今回のこの行動は、性虐待とは関係ない。
私はただ、「くそ!!」って思って、いつものように、カミソリを手に持っていた。
いつもならこの後、バカらしいと思ってやっめられていた。
何で今回は切ってしまったんだろう?? 何がいつもと違ったんだろう…。

酔っていたから??そういえば、直前の記憶がほとんど無い。
切った感覚も思ったよりも深かっただけのことだった。
酔ってたから???
アルコール依存の怖さってこれなのかな?

次の日、少しづつ考えを整理して言った。

いつもはバカらしいと止められていたのにやってしまったこと。
性虐待と関係ないと実感したこと。
もう、こんなことをしても両親のところには何の連絡も行かないということ…。

「全てに理由がある」とS 先生が言ってたな…。
「やってしまった事、起こってしまったことは、よかったことと思わないとやってられないでしょ。」
という言葉を思い出しながら…。

 現在の自分に向き合う時期になったのだ…と思うことにした。
アルコールの問題やアルコールを求める現実逃避の理由に。

私は、今、◯◯◯◯(本名を書いていた)として生きている。
もう、そこから先は「飛べない」。
着地点はここ。

いくら飛んでも、いつもここ(自分)に戻ってくる。
逃げても、避けても、問題はいつも自分の中にある。
そろそろ向かい合える力は付いている。

それを教えてくれたのは、この傷。

付き添っていた時の夫のことを思い出した。
何だかずっと怒りながら文句を言っていた。
傷つけてしまった。
怖かったんだろうと思った。
私が私に言ってやりたい罵詈雑言を、彼は私にぶつけていた。
悔しかったのだろう。

彼に申し訳ないと心から思った。

心から謝ったら、絶句して顔を曇らせていた…。

2012.03頃(K)

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