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近親姦虐待の被害当事者たちがつながり・語り・学び合うためのセルフヘルプ・グループです。

ヒラケトビラコラム

学問のおすすめVol.7

このシリーズは、2011年夏頃から10回に渡って、あるNPO法人の会報に寄稿した体験談を、再編して掲載しています。

🚩文中に性的な描写や被害体験についての記述が多くあります。フラッシュバックにご注意ください。
なお、これは個人的な回想録です。近親姦虐待被害の当事者の声を代弁したものでも、これが標準的な事例だと言いたいわけでもありません。

🚩近親姦虐待被害当事者の被害体験や後遺症などは、それぞれの被害の状況、生育歴、時代背景、地域性などなどが複雑に絡み合っているので、ひと括りにすることはできません。

***

今回は、「とあるNPO法人」のホームページの右側にある、「とあるプロジェクト」のバナー(現在はありません)をクリックするとご覧いただける、「とある動画」の第2段で、話される内容について、書かせていただこうと思います。(意味不明だと思います。申し訳ありません。)

あなたは、性虐待・性暴力被害に対して、どんな知識や意見をもっていますか?
また、被害者がどのような支援がなされ、適切な治療を受けていると思いますか?

もしかしたら、幼少時期の性虐待や性暴力の被害体験を語る人を見て
「そんなに昔のことを、なぜ、今さら苦しんでいるのだろう。」
「過去は過去。これからのことを考えて、前向きに生きることはできないのだろうか?」
と感じたこともあったのでは?と思います。

というのも、兄や父からの性虐待の被害の当事者である私自身も、
「そんな過去のことに縛られずに生きていこう」と被害体験を封印し、
「あのことは乗り越えた」として生きていた時期に、さまざまな困難を抱えた方々や性暴力被害の当事者に対して同じように…いや、それ以上に「たかがそんだけの被害じゃん!」と思っていました。

その頃の私は、自分が
「世界でいちばん不幸で、いちばんひどい状況を生きてきて でも私はそれを乗り越えた」
と本気で思っていました。

私自身、そう思って生きていたにもかかわらず、自分自身の全てをコントロールできていたわけではありませんでした。
だからきっと「自分自身をコントロールできない怒り」が、性暴力被害当事者や幸せそうに生きている他者への怒りを増長させていたのかもしれません。

私の場合、15歳で父からの被害が終わった頃からずっと、「身体的欲情」や「性癖」や「性行為時の不感症」に対して悩みがありました。

彼(現在の夫)との性行為時は、胸から下に行為が及ぶと、まず、兄や父からの被害の記憶がチラッと蘇り、罪悪感や嫌悪感、悔しさなどの焦燥感が次々に湧いてきました。

慌てて意識を集中して「感じよう」と思うのですが、そう思えば思うほど「焦り」が強くなって、集中できなくなり、「感じているフリ」をしなくてはいけなくなってしまいます。

そうしているうちに、事は進み、感じられないまま終わってしまう…
その後、何とも言えない虚しさや寂しさが襲ってきました。

心と身体は彼を求めて、ずっと抱きしめてもらいたいし、ひとつに繋がって愛し続けて欲しいのに…
身体の一部だけが反応しない…
バラバラになりました…

その後、隠れて自慰行為で処理するのですが、よけい虚しくなっていく…
それが40歳を過ぎるまで続きました。
私にとっては結構な生き地獄でした。

「性欲が強い自分」「身体的な興奮と快感」を求める自分が、異常にさえ思えて。自分を責め始めるようになりました。
性虐待にあっている被害者の自分が、性による快感を感じるなんてことがあり得ない、あってはならないことと感じている自分もいて、性欲が強い自分を認めたくなかったのです。

だから、「セックスしたい」と自分から言い出すことはできず、焦り、悩んだ末に、とうとうセックスドラックに手を出し、虚しさからそれを自ら告白して夫に呆れられ、嫌悪感を持たれたこともありました。

この行動は、その後の自分の生き方に、かなりの黒影響を与えることになります。

性癖や性欲について
「父や兄からされたようなことを自分で欲している」
その事実に気づいたことに愕然としました。
このときは、それ以後かなりの長い間もがき苦しみました。

例えば。ひとりの時、よく過激なエロビデオを見ていました。
見るたびに興奮するのですが、罪悪感と虚しさが襲ってきて、自分が大嫌いになっていきました。

こんなことを、友人や家族に話せるでしょうか?
誰と分かち合えばいいのか、ずっと誰にも言えずに抱え込んできました。

ですが、5年前にクリニックに繋がり治療を始め、今では、月2回「とあるNPO法人」の性暴力被害当事者の自助グループのミーティングでこのようなことをどんどんシェアをし、フェローシップで仲間と分かち合ったりしています。

そのおかげなのか、シェアを始めて3年目くらい経った頃、人生で初めて、身体だけではなく、心や頭?魂?が感じるほどの満ち足りたセックスができました。

優しさに包まれた心と身体が自然に反応してくれたっていう感覚です。

先日、「とあるプロジェクト」の映像の中でも触れた「もの凄くハードなSMビデオ」を見たとき、幼少期の私が父に犯されている記憶とシンクロして大泣きしました。

もしかしたら、私は大人の女性が犯されているシーンを見たかったのではなくて、幼少期の私が犯されている場面をエロビデオとシンクロさせて、あの事件がどれ程残酷なことだったのかを現在の私として実感したかったから、無意識的にそのような動画を見たかったのかもしれません。

「性欲は持ってもよい それは人間として自然な欲求」というのは、S先生とのこれまでの対話の中で掴んできました。
「欲望や感情は自然に湧いて出てくるもの。出す時と場所と相手と出し方を間違わなければ良い」のです。

さて、以上がこれまでに私が語り・分かち合い、得てきたことです。

ひとりで抱え込み悩み続けていては、このように気付き感じることはできなかったでしょう。

以上、性虐待・性被害の記憶や怒りや悩み苦しみが、被害者の現在の生活の中にも、大きく影響を与えていることがお分かりいただけたでしょうか?

さて、みなさんは、性虐待や性被害に遭った人から、そのことを打明けられたとき、どう感じるでしょう?

驚き、戸惑い、これからどう接したらよいのか混乱するのではないでしょうか?

被害者や支援者、また、加害者が、性暴力や性虐待に対する知識や情報を正しく持ち、理解できるようになれば、何かが変わると思いませんか?

「とあるプロジェクト」の担当として活動させていただくことになり、そんな希望を現実のものにできるよう、活動していこうと考えています。よろしくお願いいたします!

2012.07頃(K)

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