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近親姦虐待の被害当事者たちがつながり・語り・学び合うためのセルフヘルプ・グループです。

短編集コラム

映画「ぼくのエリ~200歳の少女~」の中に見た残酷な連鎖

「ぼくのエリ~200歳の少女~」はスウェーデンの映画だ。
原作は「モールス」という上下巻の長編小説。

いわゆるヴァンパイアもので、人間の生き血で命をつなぐエリの物語だ。
エリは12歳くらいの外観のまま200年程、生きながらえているという設定。

ある日、年配の男性に連れられて、エリは街にやってくる。
そこで、いじめられっ子で孤独な13歳の少年・オスカーと出会い、友情、連帯感、仲間意識、共犯意識、淡い想い等を紡いでゆく。

この原作と映画を忘れ難いものにしたのは、ホラーファンタジーの様で、現実的な要素も描いているところだ。

エリの見た目は12歳でも、中身は推定200歳の老人だ。
しかし、相手の少年は現代を生きる13歳の子どもなのである。

劇中に一瞬だが、エリの実態が表現される所がある。
「私を受け入れて」
―と、子ども相手に追いすがる老人がそれだ。

12歳の子ども姿で実は200歳前後の老人が、13年間しか生きていない少年を取り込んでゆく様子がリアルに描かれている。

子どもの目線や関心に合わせて言動を変化させ、良き理解者、仲間、友人として歩み寄ってゆく・・・まるで、小児性愛者が子どもを怯えさせない様に近づく様を髣髴させる。
二人の絆は淡い恋心というよりもストックホルム症候群を思わせる。

劇中ではあまり触れられていないが、エリは貧困層出身の去勢された男の子でもある。
200年前、エリに何が起こったのか…

原作の中で少し触れているが、貧困ゆえに富裕層の前に引き出され、残酷な末路を辿らされた事になっている。
12歳前後で成長を止める為に、何も解らないまま去勢されたのだ。
その手引きをしたのはエリの親なのだ。

自分自身が信じていた親によって裏切られた事実が、最もエリの苦悩を深めている。
200年という長い年月が経過してさえも…

全編を通してエリに落とされている影は、富裕層の残酷な仕打ちよりも、最愛、信頼を寄せていた者からの裏切りである様に私には見える。
その親の背景に何があったとしても、裏切られた子どもの傷は深く苦悩は終わらない。

原作の中に出てくるヴァンパイア化した仲間と、エリのやり取りも興味深かった。
大人になってヴァンパイア化した者とエリの様な背景では、同じ怪物化でも当人たちの受け取り方は全く異なっており、更にエリが孤独に苛まれる様子が描かれている。

それでも生臭さや醜悪さ、生理的嫌悪感を感じさせずに不思議な余韻を残すのは、残酷描写と共に美しい風景や人々の悲喜こもごもが描かれ、エリの深い孤独と嘆きが物語の中から伝わってくるからだろう。
同時に、12歳という外観が果たす役割と、実際の中身が異なるのも魅力の一つなのだと思う。

余談だが、日本ではあまり馴染みのない吸血鬼のエピソードがある。
家人に招かれないと、吸血鬼はその家の中に入れない。
だから紳士、淑女、友人、同胞等を装いながら、犠牲者に選んだ家人の戸口で
「家に入ってもいい?私を受け入れてくれる?」
と、尋ねる。

巧妙でおぞましいやり方だが、家の中に入れてくれるか?と乞う姿は、何だか物悲しく妙に寂しい・・・(´・_・`)

もし、相手が吸血鬼だと解っているのに、自分と何らかの絆ができてしまった人が戸口に立っていて、「あなたの家に迎え入れて欲しい」と言われたら、私は入れるだろうか?
自分が犠牲者や共犯者にされてしまう可能性が高い相手だ。

子どもの頃なら、それでも相手を招きいれただろうと思う。
孤独と孤立の暗闇の中では、全く未来のない禁じられた相手でも、二人が破綻するその時までは一緒にいてくれるのだから。

エリと共に街にやってきた年配の男―彼の選択を決して愚かだとは思わなかったし、一番感情移入して私自身を投影できたのは彼なのかも知れない。
かつて痛めつけられ、無力に苛まれてきた子どもが大人になり、孤独で孤立した無力な子どもに近寄り、やがてどちらかが倒れて、どちらかが生き残ってゆく残酷な連鎖だ。

さて、現在の私ならどうかな?
「家に入れて」と言われたら― これはその時の状況と条件次第かな…。

招き入れた相手が理不尽で一方的な要求ばかりすることに変わってきたら、返り討ち覚悟で日光に晒したり、胸元に杭を打ち込んで古典的な吸血鬼退治方法をとるんだろうなぁ。

自分が生き延びるために。
^^

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