ご無沙汰してます。
現実は容赦なく次から次に、いろいろな出来事がありますが。
自分自身に立ち戻って、自分の足で歩むしかない、と痛感しています。
父のことは許せた、とどこかで思ってるつもりが、心がかき乱される時が今でもあります。
結局、まだ《つもり》なのでしょうね。
ただ、父の認知症のことで心境が複雑になり、泣いてる夜もあります。
昨日は、そんな夜でした。
そんな夜に、急に自助グループに思いを馳せたりもしてました。
現在、父とは離れて暮らしてます。
とは言っても、同じ沿線の少しだけ離れた場所です。
去年は、実家近くのアパートに父が春に退院してからすぐに引っ越してました。
父には成年後見人の方、オレオレ詐欺被害対策の電話装置の設置頼み、また、ヘルパーさん、デイサービスも頼みました。
不定期的に父には電話をしてるのですが、寂しいといきなり不意打ちで、時間問わず、こちらの都合問わず電話がかかってきます。
認知症なのと、元々の性格から気にしないのでしょう。
この不意打ちの電話で私は混乱してしまいます。
でも、父の生い先が、そこまで長くはないだろうことと、住み慣れた東京から横浜に移ること、私が1人ここに残ることを考えると、気持ちが行き違いなのでしょうね。
それでも《寂しい》との思いは同じようにあるので、思い遣りの心がお互いにあります。
混乱した後の電話は、複雑な心境になるので泣いてしまいますが。
普段の電話の後も、父は子供がえりしているので、屈託のない声で「ありがとう!」なんぞと言われたりします。
そこでまた、泣いてしまうのです。
私は父のこと、殆ど知りません。
戦前・戦中・戦後、どんな思いで過ごしてたのでしょう。
あっ、アポロ11号に夢中だったことは知っています。
実家を出る時に当時の雑誌を持たされました。
こんなトンチンカンな父と私です。
もちろん私はリアルタイムでアポロ11号をしりません!
一体、何を考えてるのか。。。
知っていて欲しいこと、覚えていて欲しいことの1つなのでしょうね。
そんなこんなで、私の中で、父への思いは氷解してます。
随分、クリニックでもシェアしてましたが。
ここに着地するとは思ってもいませんでした。
あとは、私が私自身を生きていきたい。
それだけ、です。
追伸 : 度々すみません!
友達の働くホスピスの医院長先生の言葉で忘れられないものがあります。
「人は《揺らぎ》があるからこそ、生きてる証。《揺らぎ》がなければ、死んでるのと同じこと。」
そして、『いのちのバトン』『さよならの先』の著者・志村季世恵さんは、自分がもがき苦しんだ長い時間の先に今のお仕事《バースセラピスト》にたどり着いたそうです。
それらの時間を無駄な時間とは言わずに『自分の醗酵時間』と書かれてました。
私たちも、発酵時間を生きる必要があって《揺らぎ》もあるのでしょうね。
どちらも、生きてる証だと、そう思います。
それだけお伝えしたくて。
メール、夜分にすみませんでした。
AYANO