SIAb.

近親姦虐待の被害当事者たちがつながり・語り・学び合うためのセルフヘルプ・グループです。

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映画を観て浮き出てきたこれからの課題

映画『私の男』の感想です。

1度目観たとき、ラストシーンが『近親姦虐待の本当の恐ろしさを描いてくれてる』と思い、『これを言葉にしなきゃ!!』と、ロビーですぐに原作を買い求めて帰りました。
『私が感じた“本当の恐ろしさ”に向き合わないといけない』と、次に進めないと思いました。(私の感じた“近親姦の本当の恐ろしさ”については、また次回に書きたいと思います。

そして、原作を読むにつれ、原作と映画の違いにどんどん気づいていき、『熊切監督が、なぜああいう作品に仕上げたのか?』どうしても知りたいという欲が出てきました。

『もう一度観てみたい・・・』

 ちょうどその頃に、受賞後の舞台挨拶が決定し、お誘いのメールも来て、2度目の鑑賞が決まりました。

 2度目を観て、熊切監督の言葉
『難しいことを描いていて、そういうことを言われるのも当然だと思って描きました。
 うまく言えないけど、そこに愛があったこともありうるってことを描きたかった。
 美化したつもりはなくて、そこにある厳しさも描いたつもりです』
という言葉を聞いて、『この人だからこの映画をつくれたんだ』と納得しました。

 ところで、『近親相姦美化に疑問』という日刊スポーツさんの記事に対して、『近親相姦』という言葉に対する訂正を求める声が上がっていました。

私自身は、ハッキリ言ってどっちでもいい。
何か、研究や診断とかで必要ならそういう言葉を使えばいいと思っています。

SIAb.も便宜上、近親姦虐待被害当事者~と使っていますが、その内容は、ひとつの言葉にまとめられないほど多種多様だからです。

 さて、映画に戻ると、私自身は、あの“淳悟と花”の関係性は、私と兄との関係性の方が近く感じたので、父と私の関係性とは違うものとして捉えた方が入り込みやすかったです。

 私は、父と兄と両方からの被害を受けたのだけれど、同じ近親姦虐待かというと全然違っています。

『やられたことは同じようなことなのに、自分にとっての被害の受け取り方が全然違う・・・。』

 言葉を借りていえば、現在の自分は、父に対しては、近親姦虐待を受けたという感覚があり、兄からのは近親相姦の共犯者だったという感覚で受け止めています。

SIAb.の仲間も、いろんな家族構成や歴史、虐待内容、加害者像があって、だからそれぞれ違う感覚で自身の虐待について感じています。

それに、回復の過程で、加害者や周辺の人達に対する気持ちもどんどん変化しています。

だから、その時々の誠実な思いを吐露できる場所が必要なのです。
『男は敵!』とか『加害者は悪魔』とか、逆に『加害者の父が必要だった』とか『その時、体は快感を感じていた』という発言が出るたびに、それぞれが共感したり、怒りを感じたり、自由にできる空間と時間が必要なのです。

私は、2008年から自助グループやクリニックでいろんな人と話してきて、当初は、他者の被害への感じ方と自分の感じ方のズレに、もの凄く怒りを感じて、どうしても自分のものに取り込もうとした時もありました。

 また、その人の意見が正しいと思い込み、それに合わせようと必死になった時もありました。

 まるで木を折るみたいに・・・

 現在は『その時々で感じたことを誠実に受け止めて』ということを心がけています。
それでも、時々、正直『ん~・・・』と感じることもあります。

そういう時は、その思いに身を任せてゆっくりと味わいます。

 『いろんな心の声を、安心な場所で、分かち合える仲間のいる空間で吐き出せる』

これが一番大切だから。

 多分、それができるようになってきたのは、長い時間かけて創りあげてきた『自分』というものが、出来上がりつつあるからなのだと思います。

♪この木何の木?SIAb.の木♪

♪この木何の木?SIAb.の木♪

1本の大きな木。

しっかりと根を地面に生やして、そこそこの太さなのだけれど、芯はしっかりして、枝も方々に伸ばして、葉っぱや実や花をその季節ごとに付けて、飛んできたと渡り鳥のお休み処として枝を差し出す。
強風にあおられようとも、しなやかにしなって、風がおさまった後、余計な葉を落とし、また凛として立っている。

 昨日、クリニックの認知行動療法で『自分のものさし』という題が出された時に、イメージした、現在の私の『ものさし』

 自由に風になびきながら、それでもしっかりと芯を持ち、これからも育って生きたい。

そして、そういう木をどんどん増やしていきたい。

 そして、今回声を挙げてくれた仲間のように、これからもどんどんこのホームページで、当事者の声を配信していき、世の中全体に向かってこの問題について発言していきます。

 そうすることで、『近親姦虐待の被害者がこんな映画見るわけないだろ!』とか、『あんな質問するなんて、映画の宣伝のための仕込だ!』なんていう思い込みを無くしていきたいです。

長々と読んでいただきありがとうございました。

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