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近親者からの性的虐待の被害当事者たちがつながり・語り・学び合うためのセルフヘルプ・グループです。

短編集コラム

私の体験(兄からの被害)

友達が妊娠すると、みんな喜んで妊婦さんのおなかを触る。
生まれたらどうだね、ああだね、と楽しそうに話しをする。
そういう感じが私は苦手だった。
妊婦さんのおなかを触ることができない。
妊婦さんとにっこり楽しんで話すこともできない。
自分が汚れていると思っていたから。
自分のせいで妊婦さんと赤ちゃんが汚れると思った。

自分にも母性らしきものがあるけど、それが嫌いだった。
きもち悪いと思った。
母性って性欲に似てる。
同じものだけど、ラッピングを変えたものみたい。

図書館でルワンダの内戦の中で起こった、レイプ被害で生まれた子供と母親の写真集*を見た。
うつろな母と子の目、とおくを見るような目、カメラを凝視するような目、たくさんの目があった。
憎き敵にレイプされ子供を産まざるをえない状況を想像してみた。
みぞおちのあたりにあるモヤモヤ、なんともいえない気持ち悪さ、爆発しそうな憎しみ。
自分が日ごろ感じている、自分の性に対する嫌悪と似ていると思った。

私は子供のころ、寝ているときに兄に性的なことをされた。
週に1回ぐらい3、4年続いた。
不快なのに、殺したいくらい憎んでいるのに抵抗できない。
気持ちをだれにも言えず、体が拒否反応を起こし、食べたものを全部吐いてしまう病気になった。
親はそんな私を治そうとするばかりで、私の気持ちを聞こうとしない。
心理的なことが原因だなんて、絶対思いたくないみたい。
大きな病院にいっても原因がわからなかった。

だれも気づいてくれない。
学校を休んで好きなものを食べて、でも咳き込んで吐いて*、お父さんとお母さんの間に挟まれて川の字で眠った。
3週間ほどたった頃、私はすべてをあきらめたのだと思う。
この状況に適応して、生きていく他ない。
事実を話して、家族と離されて施設に入れられたりするのはいやだもの。

体は少しづつ回復し、性被害は続き、私の感情は死んだようになっていった。
どうすることもできなかった。

感情を殺したままなんとか生き延びることができた。
男性は苦手。
深く関わると色んな激しい感情がでてきてしまい、手に負えなくなる。
うそで塗り固めた私は、友だちも人並みにいたけど、いつも自分の心のうちは話せない。
女性は恋バナが好きだから、恋愛に関する事柄はうそばっかり言ってた。
できごとはうそじゃないけど、感情はすべてうそ。
デートしても楽しくないし、相手が好む人物、こうあるべき女性を演じるだけ。

そんな状況にも限界がきて、ウソの友達、ウソの恋愛、全部なくなった。
ほとんど空っぽ。
カウンセリングに行き、自助グループに行き、精神科に行った。
だんだんと、自分の感情を人に話せるようになった。

被害にあってから20年ぐらいたった頃、精神科に兄をよび話しをした。
何故あんなことをしたのかときいたら、「わからない」と言われた。
わからないんだ、じゃーしょうがないね、と思った。

いっぱい悩んだこと。
なんで自分は抵抗しなかったの?
なんでお兄ちゃんはあんなことしたの?
なんで親は気づかなかったの?
見て見ぬふりしたの?
なんで私ばっかりあんな目にあったの?

押さえ込んでいた感情を、自助グループや病院でたくさん吐き出したら、ちょっとずつ大丈夫になってきた。

Mさん作

Nさん作

最近、知り合いの年下の妊婦さんに会った。
みんながやっているみたいに、おなかを触らせてもらった。
おそるおそる。
おなかの赤ちゃんに「元気にでてきてね」と声をかけた。
妊婦さんがうれしそうな顔をしてくれた。

前は被害にあった苦しみが自分の世界を全部すっぽり覆っていて、自分が病気だと思っていなかった。
けど今はその苦しみが、眺めて分析できるぐらいのサイズになった。
息ができるスペースができた。
生きていてよかったと思う。

自助グループの人たち、気持ちをわかちあってくれた全ての人に感謝しています。

(N)


*1 『ルワンダ  ジェノサイドから生まれて』 ジョナサン・トーゴブニク著/赤々舎)
*2 (この病気について性被害が始まった時期と重なるので、関連があったと思っていますが推測であり、原因は不明です。)

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