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近親姦虐待の被害当事者たちがつながり・語り・学び合うためのセルフヘルプ・グループです。

麻布十番おでん日記コラム

[2010年01月19日]

変化し続けることを楽しむ

クリニックへ
診察の時、
「自分が、何かあると被害に遭ったせいにしてきたから、“お前のせいだ”という言葉を言われると、自分のイヤな部分をみてしまうから、反応してしまうのでは?」
と言ったら、主治医からは、
「それは厳し過ぎる」
と言われた。

(デイケアの)共依存のプログラムの時間で
『誰を~しようとした』
というお題だったので、私は
「自分を“神としよう”とした」
と答えたら、担当の先生から
「それによって、誰をどのようにしようとしたのですか?」
と聞かれたので、
「全てをコントロールしようとした」
と答えた。

主治医のミーティングの時に、そのことについてシェアをした時、
「全てをコントロールしようとしていた自分を認め、それを許せない。」
ことを話した。

「それが“核”を話したことによる“心の揺れ”だ」
と、主治医から言われた。

お母さんに対する新しい思い(感情)について、
「キレイごとを言っているのでは?」
と訊いたら、
「それは違う」
と言われ、
「この気持ちは素直に認めてもいいんでしょうか?」
と言ったら
“よし”というように、首をコクリとされた。

“被害にあったということを話せた”という気持ちと、“話してしまった”という罪悪感が、交互に現れて葛藤しているということは、主治医の言うところの“変化をし続けることを楽しむ”ということ???

私は、“安心できてきたかなぁ~”と思い始めると、また何かイヤなことを思い出したり、自分を責めたりすることを始める。

これは、共依存のステップの本に書かれていた、
『安心感が持続すると、面白くないから、変化したいという心の動きが出て、そこから自分の心の声を聴きとろうとする』ということなのかも…

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