「現実という父」という言葉との格闘が続いていたけれど、やっと納得したような気がする。
私は“あの頃の父”(加害行為をする前の大好きだった頃の父)から教えられたというか、“あの頃の父”を見て、聞いて、感じたことが自己の中心にドンとあって成長ししながら、その“基”との葛藤もまた 私になった。
“あの頃の父”からつくられた私と、「外」「世間」という「現実」とを比較し検討しながら 自分を作り上げて育ってきた
でも、その “あの頃の父”の部分が、(被害に遭ったことで)私の心からぽっかりと無くなってしまって、不安で不安定になっていったのかも
“父”=“現実の父”=“現在の父”と思うと 今日まで起こったこと全てが 受け入れられる気がした
父が現実になった気がする
私が好きだった父は もういない
今の私にとっての父は 夫や主治医や社会の中にいるのかもしれない