SIAb.

近親姦虐待の被害当事者たちがつながり・語り・学び合うためのセルフヘルプ・グループです。

ヒラケトビラコラム

学問のおすすめVol.10

このシリーズは、2011年夏頃から10回に渡って、あるNPO法人の会報に寄稿した体験談を、再編して掲載しています。

🚩これは個人的な回想録です。近親姦虐待被害の当事者の声を代弁したものでも、これが標準的な事例だと言いたいわけでもありません。

🚩近親姦虐待被害当事者の被害体験や後遺症などは、それぞれの被害の状況、生育歴、時代背景、地域性などなどが複雑に絡み合っているので、ひと括りにすることはできません。

***

3年振りに、この「とあるNPO法人(仮名)」のフォーラム(とあるNPO法人アディクションフォーラム 2013〜インセスト・アビューズー児童期性的虐待と成人期精神障害ー」を終えて)で発言させていただくことになり、自分がどれだけ回復したのか、SIAb.Project(シアブ・プロジェクト)で近親姦虐待問題にどう取り組んでいくのか、これからの目標、等々について話そうと思っていました。

S先生から、「虐待があったということを公にしてから、周辺(打ち明けた相手や行政や警察等)がどのような対応をしたのか。また、自身や家族の、その直後から現在まで等を含めて、話ができたらいいいね。」というアドバイスがありました。

そこで、やはり両親にその辺りの事実確認をしておこう・・・と思い立ち、ここはまず、加害者である実父に、「父に対しては、周辺から何かフォローやアプローチ(介入)があったのか?」を直接聞こうと電話をしました。

というのも、数年前の家族面談(S先生と父と母、そして私)の後、S先生の診察の際に、父からS先生宛に、「自分の加害行動を認める内容の電話をしてきた」と聞いていたからです。
だから、父は尋ねればちゃんと答えてくれるだろうと思っていました。

でも、父は私の期待を裏切り、私がこれまでに確認してきた事をほぼ否定しました。

この予想外な展開に、私はかなり混乱し、動揺しました。
母にも確認の電話を入れたのですが、その時にはもう、母の言葉を信じられない状態に逆戻りしていました。

フォーラム当日の朝、このことを控え室でS先生に話したら、
「それがねぇ~ 私もどうだったか忘れちゃって…。」
と、頼りのS先生からの言葉に、さらに動揺した私は、思わず
「先生も父から電話があったって言ってたじゃないですか!!」
と声を荒げてしまい、そんな自分にびっくりして、さらに困惑していました。

(父は突然の電話に怯えて、思わず嘘を言ってしまったのだ。 …いや、もしかしたら軽い痴呆症になっているのかも? とりあえず、加害行為はちゃんと認めていたいし、あれは過去のこと。今日の事に集中しよう。)と、自分を落ち着かせてみたものの、多分、私はそうとう精神的に不安定になっていました。

1番目(当日は3人の当事者が登壇)に話すことになり、いざ話を始めると、自分が用意していたものとは全然違う話になってしまい、「話を戻さなきゃ」と思いつつも止められずに、混乱しながら話していました。

気がつくと、登壇者の仲間のお母さんへの八つ当たりともいえる話をしている自分がいました。
これにはさすがに自分でも「いかん!」と気付き、途中で話を切り上げました。

多分、話し終えた直後、S先生が私の語りに対するコメントで「文脈がおかしい」というようなことをみなさんに向けて説明していたと思うのですが、その通り、最後の方は支離滅裂な話になっていたと思います。(緊張と、恥ずかしさで、ほとんど何を話したか覚えていませんが・・・)

そんな訳で、舞台を降りた直後から、「くそ=!」「やり直したい!!」「3年前と何もかわってないじゃん!」など、本当に頭の中が、後悔の言葉でいっぱいになっていました。

そして、その後のS先生がお話しされたことひとつひとつが、グサっ!グサっ!!と、突き刺さってきました。
全てのことが、私の中の「灰色な私」に向けて言われたことのように感じたからです。

その後のお2人の、冷静で簡潔な発言に、ますます自己嫌悪に陥り、笑顔や笑いでごまかし、妙にハイテンションな私がいました…。

その日は、「ご褒美」として、店を休みにしていたので、仲間とクールダウンのため、2時間ほどお茶をしながら話した後、帰宅。夫にも勧められ、早々と布団に入りました。

ところが、夜遅くに、酔った夫が急に怒り出し、叩き起こされました。
その時は意味不明で、でも、反撃したり言い返したりすると悪化するので、とにかくじっと耐えてやり過ごしました。

−翌日、夫が冷静になってから話を聞くと、最近、私のライフワークである「近親姦問題に対する活動」に協力的だった夫も、「そのことを理由に店を休みにした」ことに、とても腹が立ち、怒っていたそうです。
改めて、『本業もきちんとこなしつつ、余力でライフワークに取り組む』という心構えが崩れていた自分に気付き、「甘えていたな 気をつけなければ」と反省しました。−

嵐がさった後、とはいえ目が覚めてしまったので、その後、布団の中でしばらくその日一日のことを振り返りました。

と、その時初めて、会場に足を運んでくれた自助グループの仲間達の顔が浮かんできて、「しまった!忘れてた!! 彼女たち、声を上げることのできない人たちの声を私は届けようとしていたのに!!何をしているんだろう・・・」と、悔やんでも悔やみきれない気持ちでいっぱいになりました。

そんな時、ちょうどクリニックの仲間から、「今日のお話に“切実さ”を感じ取れて、それがパワーになりました。」という奇跡のメールが届きました。
…かなり救われました。

次の日の夜、翌日が定休日なので、徹底的に今の自分と向い合って悩もうと思いました。

まず、「私は何をそんなに恥じているのか?後悔しているのか?」を掘り起こしました。

前日の「映像」が、チラつき、その度に後悔と恥ずかしさが交互に襲ってきました。
久しぶりに味わう、もの凄い葛藤でした。
その「映像」に対する感情が湧くたびに、悶えたり、顔が熱くなったり、涙したり…まぁ~忙しかったです。
3時間くらい、その状態が続きました。

次に、起因が2日前の両親の電話ということ。
まだまだ、自分はこの問題から解放されていないことに気付きました。

だから、あの言葉たちが自然に心から出てきたのだ…と。

あれが今の誠実な私の語りなのだ…と。

少しずつ、「あの時の自分」を素直に受け止めることができるようになりました。

「会場に足を運んだ人は、そういう話を聞きたかったんじゃないの?」と、クールダウンの時に仲間に言われたことを思い出しました。

そう。
私はあの日、「回復し、今、未来に向かって歩んでいます!」と話そうとしていた。

そう考えると、すぐに「いい子ちゃんぶる自分」の方が、嘘のように感じられてきて、用意していたことを話さないでよかったぁ~とまで思えてきました。

後悔が誇りに変わってきました。

こうやって、時間をかけて、フォーラムで語ったことを肯定することができたことで、ひと安心した私は、「過去の未処理の問題だけが原因だったのか?」と、改めて自分に問いかけ始めました

何か違うものがあるような気がしてならなかったのです。

ひとつひっかかることが・・・。

『なぜ、仲間のお母さんのことを口にしたのか?』

考え始めてすぐに、私はその仲間に対して、自分の意識がかなり向いていることを、改めて自覚し、それがかなり前からであったことも確認しました。

その頃から、彼女に対して、私は、今、私の一番の理解者であるS先生の注目が、彼女に移ることを恐れていた事に気付きました。
また、それも仕方のないことだとがんばって割り切ろうとしていました。

それから、小学生の頃、父が同学年の女の子達にやさしく接していると、もの凄く不安になって、父の注意を自分に向けるように一生懸命だった記憶とカブってきました。

私は嫉妬している・・・。

言い聞かせても、頭でわかっているつもりでも、心のどこかにいつもそれが見え隠れしていて、私は隠すことに、ごまかすことに、押さえ込むこと必死でした。

彼女のスマートさ。クールさ。賢さ。しなやかさ。やさしさ。公平さ。そして、一番は多分、女らしさ。

女らしさ…

いやらしいと思って持ちたくなかったもの。
自分には関係ないと思っていたもの。
ちょっとだけ欲しいな・・・と思ったもの。
欲しくても手に入らなかったもの。
金がかかるなぁ・・・と諦めたもの。
もう手遅れになって諦めていたもの。
それがあれば、人生変わっていたな・・・と思えるもの。

女らしさの他にも、私は、失ったもの、得られ損ねたもの、全てを欲しがっていた。

がんばってそれを押さえ込んで生きれば生きるほど、欲しくなっていた。
心のそこから手が伸びてくる。それをかきむしり、切り刻み、押さえ込む。

フォーラム後、とあるクリニックのシェアミーティングで、ちょっとだけそのことをシェアしました。

これは、その後に書いたものです。

さて、10回続けてきた、この『学問のおすすめ』は、これにて終了させていただきます。

今まで読んで頂きありがとうございました。

2013年05月頃(K)

***

この後もドタバタが続きます٩(^‿^)
が、そのお話はいずれまた…

自分に誠実であれ

2020.10.31(K)

SIAb.プロジェクト

コラム

寄付および献金

退出する ページトップへ戻る