SIAb.

近親姦虐待の被害当事者たちがつながり・語り・学び合うためのセルフヘルプ・グループです。

麻布十番おでん日記コラム

[2008年08月11日]

加害者側と被害者側の捉え方の違い

MとMのお客さんが来店。

今までは、知人が来ると気を使って面倒くさかったけれど、“自分の仕事をすればいい”と思えるようになったおかげで、疲れることなくサービスできた。

水泳の北島が世界新で金メダル。凄い!。
彼もまた、別の意味で今まで戦ってきたんだろうな。

夫と話していて、たくさんの事に気がついた。

クリニックのミーティングで、シェアする事によって、頭いっぱいに広がっていた過去の記憶の映像がどんどん小さくなって、その分、それを話していた時に見えた映像が、過去の映像の周りに広がって、その新しく作られた映像の方が、どんどん鮮明になっていくこと。

それと、イジメにあっていた時、『自分は正しい。だから、いつかそれをみんなが気付いてくれて、私の見方になってくれる』と思っていたこと。
でも、それは決してそうではなかったこと。
正義ってなんなんだ?って感じていたこと。

両親にとっては、この問題はすでに終わった事。
でも、私には現在進行形で続いている事。

彼らは逃げてはいない。
だって、彼らにとっては終わった事だから。

逃げているのは自分。

自分が世界に飛び出そうが、偉くなろうが、金持ちになろうが、自分の過去は変わらない。

自分を変えたいのなら、その過去に続きをつけなければ、何も変わらない。

嫌な過去の映像のように、別の場面をくっつけて、新しい物語を付け加えないと。

そうすれば、今までの悲惨な物語が、変化していくんじゃないかと思う。

私は、今、それをしようとしているんだ。

 

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