(9月31日に書いた)
クリニックへ。
『シャワーヘッドをとって、ホースで洗い流そうとした時、緑のフチの鏡を使って、位置を確認しようとして、自分の性器の後ろに見えた “冷めた あきらめ顔の 鏡の中の 私”と眼があった』話しをした。
仕事が終わったらすぐ寝たかったのに、なぜかワインを飲んでしまった。
クリニックでのシェアの話し等は、クリニック以外ではしちゃダメと思っていたのに、いつのまにか夫に向かって話しをしてしまった。
ワイン3本目を終わろうとした頃、本村さんの本 (門田隆将著『なぜ君は絶望と闘えたのか 』新潮社)の話しになっていた。
「死んだ妻を、胸に抱きしめることができなかった…」と、本村さんが自分を責め続けた―ということについて話しているとき、本村さんが死んだ奥さんを前にして、冷めた あきらめた状態で立ちすくんでいる映像が浮かんできた。
その本村さんの姿と、“あの日の私の顔”と、“今の私の顔”が入れ替わりながら、暗闇のガラスに映し出されるのを“見ている私”を、斜め右後ろから見ている映像が見えていた。
左の方から「ダメ! ボトル! ガラス!!」と 叫ぶ私がいた
瞬間、ガラスの中の自分と眼があって
ガラスを避け、ワインのボトルを床に叩きつけていた。
ガラスの中の自分と眼があったとき、夫が「えっ!?」っていってた
何を言っていたのかはわからない
思い出せない
言ってもいないかも
『自分で自分が許せなかった』
あの顔が 思い出させてくれたのかもしれない
今でも許していないのかも
許してない