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近親姦虐待の被害当事者たちがつながり・語り・学び合うためのセルフヘルプ・グループです。

麻布十番おでん日記コラム

[2009年02月19日]

母の吐露

(文章中、フラッシュバックを起こす可能性のある文章が含まれています。ご注意ください。)

もう19日だ。
1月の買掛金の支払いをしないといけない頃だというのに…

いつまでも両親とのことで悩んでいちゃいけないと思いつつ、心が抜け出せない。
ちょっと休んで、気合を入れないと。

母からメール。
母は、主治医に “私からの電話にどう受け応えをすればよいかききたかった” そうだ。
そんなことか…とがっくり。

『子どもが狙われる』という、ネット上への幼児虐待映像の投稿について取り上げたドキュメンタリー番組を、両親に見るようにメールで伝えた。

放送終了後、実家に電話。

父は、「もうしてない」と。
“あたりまえだ!!” と突っ込みたいのを抑えて、「同じようなことをしてきたという自覚を持って欲しくて見てもらった。」と伝えた。
いまいち解ってないようなので、また機会を見て何か見てもらおうと思う。

その後、「お父さん じゅうぶん反省しているみたいよぉ~」
と、勝ち誇ったような声で、母が電話に出た。

私は、「そんな為に見てもらったんじゃない。」と伝えた。

本当は、もっと醜い男が小さな子をレイプしているところを見せたかった。
『闇の子供たち』(映画)のような場面。

どれだけ自分が酷いことをしたか、知ってもらうために…。

私が、あの行為だけで傷ついているのではなくて、お母ちゃんのその後の態度に傷ついてきたことを伝えるために、過去のこと、例えば開店前に急に反対したことなどを言うと、「あ~ あの時はぁ~」と、また自分を弁護することを話し始める。

解ってない。

「けいこたちがどんなことをされていたか分かっていたら、離婚していた。」とも言っていた。

そうじゃない。

<あんたは、“訊かなかった” し、“守ろうとしなかった” のだ> と、思いつつ、ぐっとこらえて
「お母ちゃんの立場も分かっていたから、私も家を出なかった。」とひとこと言ったら、

「食うや食わずの生活をしてきたから、いい暮らしがしたかった。」
「今まで築き上げてきたものを失いたくなかった。」

と、とうとう本音を言ったので、私は「よくできました。」と言ってやった。

そしたら「作文を読んでるんじゃない!」とムッとしていた。

なので、メールに
『私と同じような状態に、もし自分がなった時、おばあちゃんはどうすると思う?
 おじいちゃんが、ある日、自分を犯して何年も何度も繰り返しているとしたら、お母ちゃんはどうなっていたと思う?
 お父ちゃんが、私が嫌がる姿を見ると、興奮して喜んでしまいそうだから、心の中で“助けて!”“止めて!”って叫びながら、無表情でいたり、そんな状況でいても、体が快感を感じて反応しちゃうのを、悔しくて、情けなくて“これが終わったら死のう”って考えながら、棒のよううになっている私を想像してみて!!
 私は、お母ちゃんを理解しようと想像したり、戦中戦後のドキュメンタリーや、戦争映画やドラマを見て考えてきた』
と書いて送った。

主治医と話しをするまでに、もっと大人になって欲しい。

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