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近親者からの性的虐待の被害当事者たちがつながり・語り・学び合うためのセルフヘルプ・グループです。

短編集コラム

命を奪う夏の思い出(2)

(前回からの続きです・・・)

そして次も同じように、日中、一人で置いて行かれた。

この頃にはだんだん状況が飲み込めてきた。
私だけが置いていかれ、母親、祖母、親類、妹達は、外出と外食を楽しんでいたのだ。
私の存在しない時間を楽しんでいるのだ・・・。

帰宅した彼女たちの会話、口から漏れる美味しそうな食べ物の匂いから察した。
満たされないお腹と意図的に置き去りにされる惨めさで、重苦しい気分になった。

視線を動かすのも億劫になるような、あの独特の感覚が強く張り付いてくる。
(子どもの頃、瞬きも視線を動かすのも億劫になることが多く、祖母や母親は独特の私の表情と特徴を、“精神異常者”“キチガイ”と嘲笑し、みっともないと叱責、なじることがあった)

再び一同が外出して行った後、私は田んぼに直行した。
手当たり次第に蛙を捕まえては、思いつく限り叩き殺して道路に放置した。

真夏のことだ。

休憩を入れながら、ただただ蛙を殺す作業に没頭し続けた。
何も考えたくなかったし、感じたくなかったからだ。

気付くと道路はものすごい数の蛙の死骸だらけになっていた。
さすがに怖気づいた。

自分の行為にではなく、母親たちに惨状を見られ咎められることを恐れたのだ。
母親や祖母に「精神異常者の様な行動」の理由を詰問されるのが怖かった。
「こんなことをするのは、頭のおかしい人だけなのだ。」と、馴染みの台詞が怖かった。

それなのに、生き物の命を奪いつくす事に対する良心の呵責など、一切感じなかった。

母親や祖母など周囲の大人の目に脅え、心身両面の恐怖心で一杯で、そんな事を考えたり感じ取る余裕は、全くなかったのかも知れない。

その日、大人達が帰宅してくるのは、本当に遅かった。
日が暮れかかっていたので、道路は見えにくくなってきたから、蛙の大虐殺は見つからないだろうと安堵しつつも、空腹というより飢餓感に近いものを感じていた。
そして、一同はやはり談笑しながら、何かの美味しそうな匂いをまといつつ帰ってきた。

私はこの時、初めて母親たちに半狂乱で食ってかかった。

開口一番、「(私は)まだ何も食べてないんだけど!」といった内容のことを怒鳴った。
全員が白けた顔を向けてくる。
何を言っているのか?と互いに顔を見合わせる。
この日は朝から本当に何も口にしておらず、多分、丸一日近く水だけで過ごしたのだと思う。

「何も食べてないのに!」。
私の訴えは殆ど悲鳴に近かった。

食材も何も無い家の中に子どもが一人残されたら、誰も帰ってこない間は何も口にできないという当たり前の事が、母親を始め周囲には全く理解されず、何を取り乱しているのか?と訝しがられる。
仮に解っていたとしても、“存在しない様に扱う”という暗黙の了解は、“正気が崩壊するのではないか?”という恐ろしさを感じていた。

勿論、子どもの時なのでそんな言葉も知らない。
当時の私には、この現象が何なのか解らなかった。

殴る、蹴る、罵倒する、性的に屈辱を与え続ける・・・こういった形ではなく、「無関心」というものが心身を“えぐる”ということを、全く解っていなかったのだ。
大した手間も考えもいらない。
手軽で、最も楽で、誰にでもできる攻撃、それが無関心だ。

私の訴えはあっさり無視された。
何も食べずに田んぼのど真ん中の平屋に一日近く放置されて、空腹を訴える子どもより、今日出かけた場所や、入院している親類の誰かのことや、雑談が優先された。

それでも食い下がると、親類の女性達は「何で私達があなたの食べ物に気をかけなきゃいけないのか?」と怪訝な顔をした。
親類達が困った様に、母親や祖母を見ると、親類の彼女達よりももっと理解不可能な顔をしていた。

誰一人、“私が生きていく為に食べ物が必要”ということに対して、“一切の責任を持たなくても正しい”と言わんばかりの表情だ。
自分が本当に母親の子どもなのか?祖母や妹と繋がりがあるのか?
私の内側で自分自身を疑い始めた。
<知らない間に知らない人達の家に入り込んでしまったのではないのか?>と妄想が駆け巡る。

死というものを本能的に感じ取った。
食べ物が無くて死ぬ、衰弱することへの本能的な怖さを感じたのだ。
これは直接的な恐怖心だった。
不安と不信はとっくに通り越していたのではないか。

勿論、これくらいで死ぬことも衰弱することもないのだが、食べ物を通した差別的な扱いは空腹だけではなく、精神的にも大きなダメージを受けた。
内側と外側から、何かが崩れて何かが隔たってゆくのだ。
差別、侮辱、飢餓・・・こんな言葉もまだ知らなかった。

ようやく祖母が飽きたと言わんばかりに重い腰を上げて、ご飯を炊いてくれた。
冷蔵庫に残っていた、いつのものだか解らない梅干を用意してくれた。
急いでかきこんだ。
“空腹は最上の調味料”と聞いたことがあるが、ちっとも美味しくなかった。
がつがつした食べ方に、全員の目が嘲りと軽蔑の色を浮かべるのも感じた。

満たされた者達と、一日中、空腹を抱えて粗末な食べ物をかきこむ自分との間に、距離を感じていた。
後に他者との間に何層もの隔たりを感じる事になるが、これもその一つだ。
隔たりの層はどんどん厚くなってゆく。
もう自分一人では壊すことも乗り越えることもできない。

絶望感は更に気分を重くしてゆく。
お腹を満たすために食べ物をかきこみ、食べ物の差に苛立つ。
通じない言葉にイライラし、全ての状況と思考がバラバラになって収拾がつかない状態になる。
それなのに、ご飯をかきこむ自分をあさましいと疎んじる。
最後は食べる事だけしか頭に残らなくなる。

冷たく自分を突き放して見つめると、<母親がよく口にしていた地獄界の餓鬼にそっくりだ>と、子ども心に思った。
食べながら呆れて、自嘲した。

翌朝だろうか。
その平屋を後にする頃、私が大量虐殺を行った道路には、原型のない黒い物が沢山散らばっていた。
私には、すぐに自分が没頭して殺した蛙達だと解った。
あまりの多さに、驚く程だった。

だが、小動物への残酷な仕打ちがバレる心配はなかった。
母親、祖母、妹、親類達にとって、無数の蛙の命も、たった一つの私の命も、関心を呼び起こす対象ではなかったからだ。

家の中で母親が意図的に私への食べ物を操作する事は、よくある事だった。
母方の親戚や祖母が見てみぬふりをしたり、時には迎合して一緒に差別的に扱うこともあった。
(私の食事のみ生焼けの野菜や肉や魚で出す、親類が囲む食卓で私だけ別室で同じ食事を与えないなど)
でも、完全に周囲から環境を隔絶された状況で行われた事は初めてで、恐怖心と不安感は非常に強くて今もよく覚えている。

 家庭内で子どもが親によって餓死、衰弱死させられる事件があると、苦々しい夏の日の事を思い出す。

  *****

 ここから現在の私の視点から振り返ってみる。

(3)へ続く・・・

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