(2009.04.10 出さなかった手紙の2通目です。)
私の両親へ
やっと手紙を書ける精神状態になりました。
長かった…。
多分、今思うと、フランスに行ったあたりから、私の心は少しづつ傷が開いて行ったんだと思う。
フランスに逃げた頃から。
遠くに離れれば、あなた達二人から逃げられると思っていたのかもしれません。
でも、ダメだった。
どんな事をしても、実際にあったことは、無かった事にできないし、忘れることもできなかった。
苦しんで悩んで、やっと見つけたクリニックで “丸ごとの自分を受け入れる” ということを教えてもらった。
私は、自分が強く生きていく為にがんばってきて、そして今、私は強くて優しい人になれたと思う。
2年間クリニックに通って、自分のことを知り、自分の心の声に耳を傾けて、本当の気持ちを聞いて、自分を癒してあげて、自分に優しくしてあげました。
そして誠実に自分のことについて語って、自分を他人に知ってもらって、受け入れてもらい、他人の心の傷を知って、他人を受け入れて、友情をつくりあげてきました。
そして、自分が大好きになって、友達もたくさんできました。
今の自分が大好きで、誇りです。
最後の最後に、私の心の成長を助けてくれたのは、あなた達二人だったのかもしれません。
勇気を持って、親子面談に参加してくれたこと、本当にうれしかったし、ありがたいと思いました。
同じように被害にあって、苦しんでいる人の多くが、私のように恵まれた状況ではありません。
私は、当事者(加害者)としてのお父ちゃんとも話せたし、親としてのお父ちゃんとも話せたし、お母ちゃんとも話せた。
それだけでも、恵まれていると思いました。
1月13日の親子面談の後も、何度も気持ちが大きく波打って、苦しんで、悩んで考えました。
特に、3月11日のお母ちゃんと私と先生の3人で会った後は、きっと最後の大きな山を登った感じのような、ひどい苦しみでした。
苦しんで体調も崩して、何も考えられなくなって、やっと気づいたことがありました。
『自分の心が 自分自身を守ってきたんだ』 ということです。
私は、小学校から中学校まで、苦しんできた時と同じような頭痛と腹痛と悪寒と吐き気などを体感しながら、『体が調子が悪すぎて何も考えられない』ことが、自分の心が壊れるのを防いでいたのではないか?と思いました。
そう思うと、いろいろな場面で、私は強く生き抜いてきたということがわかりました。
そして、そうやって強く育ってきたのは、小さい頃からの積み重ねだったこと。
そして、今回の心の不調のおかげで、これから先、今までの力強さに、優しさも得ることができて、今まで以上に強く生きていけるようになったことも気づきました。
お父ちゃんのしたことは犯罪です。
でも、私はもう、そのことは終わったこととして責めるつもりもありません。
もし、クリニックに来てもらうことになっても、それは何かしら病気の回復の為であって、前回のように「どうして?」とか責めたてることもないと思います。
私を産んで育ててくれたこと、感謝してます。
ありがとうございます。
今はそう思えます。
まだ、正直、不安もあります。
明日になったら、また、二人をにくんでいるかもしれません。
それは多分、私はそう思って生きていこうと思っても、心のどこかで“なぜ?”という疑問が残っているからでしょう。
私には知ることができません。
二人から聞く他、方法はありません。
できたら、少しづつでもいいので、手紙で少しづつ、二人の本当の心を見せてもらいたいと思ってます。
よかったら返事を下さい。
強制ではありません。『
私もまた、書きたくなったら手紙を書きます。