このシリーズは、2011年夏頃から10回に渡って、あるNPO法人の会報に寄稿した体験談を、再編して掲載しています。
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前回、実家に帰ったことまでを書いたが、その後私の心はかなり大きく乱れた。
仕事を再開し、愛犬の介護などで疲れきっているからだと思っていたが、クリニックのミーティングでシェアをしたときに、S先生から
「帰省がきいてるよね。」
と指摘され(あぁ…やっぱりそうか。)と思った。
帰省の目的は《父と面と向かう》ことだった。
はっきり言って、自分が何かから逃げているような感覚がいつもしていて許せなかったのだ。
その目的は果たした。
本来ならすっきりとした気分になるはずだった…
けれど、帰り際に
「これからはちょくちょく帰ってくるよね。」
と母が言ったひとことが、日を追うごとにまるでボディーブローのように効いてきた。
いつもそうなのだ。
母のひと言が私を困惑させる。
もし、「うん。」と答えると母は喜ぶだろうが、私は嘘をつくことになる。
喜ぶ母に対して嫌悪感も湧いてくる。
「できない。」と答えると母は寂しそうな顔をする。
私は正直な答えを言えるのだが、母に対して罪悪感を持つ。
そして自分の心のどこかに嘘をつくことになる。
自分の心…
私もきっと母に会いたい気持ちがあるのだ。
でも、会いたくない気持ちもあるのだ。
こんなことを一瞬のうちに考えているのだろう。
私は固まってしまう。
以前、似たような状況の気持ちを診察の時にS先生に話したら
「そうだね。って言ってあげればいいんじゃない?」
と言われた。
頭ではわかっているのだけれど、言ってみようとする気持ちはあるのだけれど、なぜかその言葉が口から出せない。
これは怨み辛みがそうさせるのだろうか??
カウンセリングに通うようになって半年過ぎた頃、母親とカウンセラーさんと3人で面談した。
その後、母と二人だけで2日間を過ごした。
私はその時心から母に抱きしめて欲しかった。
そしてやさしい言葉をかけて欲しかった。
中学3年の時、あの時そうしてもらえなかった分、今回は…。
そう思っていた。
でも、母が言ったのは
「昔のことじゃない。早く立直って元気な啓子に戻って。」
だった。
私の気持ちを汲み取ってくれない母に激怒したし、悲しかったし、寂しかったし、声を出して泣いた。
その時の私は小さい頃の私そのものだった。
頭の中で言いたいことがたくさん浮かんで叫んでいた。
でも、何ひとつ言葉として口から出てこなかった。
ただ、母親をにらんでは涙を流した。
今回の帰省の時の私も同じ。
未だ、母を前にすると子どもに戻ってしまっていたのだ。
子どもをやり切れてなかったからなのかな・・・
今、大人になった私は、母の寂しい顔と喜ぶ顔、どちらも見たくない。
どちらも腹が立つ。
悔しい。
私の気持ちを知ってか知らないのか、母は自分の気持ちをストレートに私にぶつけてくる。
平気で自分の気持ちや意見を言ってくる。
その度に悩んで混乱して自分の本当の気持ちが口から出せなくなる。
母は私にとって世の中で一番苦手な相手だ。
S先生が以前
「あなたにとってお母さんは謎の人なんだよ。」
と言っていた。
一番近くにいたのに本当に謎の人だった。
最近、母にまつわる夢を見た。
母は父が姉に性虐待をしていたことを知った後、あらゆる習い事をしては人に教えることができるまで習得し、隣接した町の老人クラブ等の「先生」となっては夜な夜な教えに行っていた。
夢ではその生徒達が「先生の暮らしぶりを見に来ました。どんなステキな生活をおくっているのかなぁって!」と家に押し寄せてきたのだ。
私は、当時の家がそうだったように、ぐちゃぐちゃの家の中を窓を開け放ち見せつけ、冷蔵庫の中の腐った野菜やカビの生えた食材を「これがあんた達のいうあこがれの先生の家なんだよっ!!」と激怒しながら外に投げつけているという夢だった。
父は恥ずかしそうにオロオロしている。
兄は少し怯えて、と姉は知らんぷりをしている。
スッキリした。
やりたいことをやったような感覚が味わえた。
あの頃できなかったことを、夢の中でもできた。
それだけでも今回はよしとしよう。
今の私が、現実にそんなことをすることはもうできないから?
境界線ができてきたのかな??
こうして書いてみると、母がなぜ習い事に逃げたのか、家がぐちゃぐちゃだったのか、そして、母が謎だったのか理解できるような気がする
2011.11頃(K)