『性を知り生を豊かに』 東京新聞 (2014年06月27日朝刊 Page20)を読みながら、自分自身を振り返って考えてみました。
私は、産まれた時から、周りには動物がいました。犬や猫、鳥、うさぎ、金魚。
特に、犬は最も身近にいて、交尾を見たり、出産に立ち会ったり手助けしたり、子犬をよその家に送り出したり、そして死んでいくところも見ました。
人間ではないけれど、性と生について、自然と知識がついていました。
小学校でも性教育を受けました。
残念ながら、その時には性虐待に遭ってしまっていましたが・・・
なんとなく知識がついていたからか? 性虐待に遭った時も、なんとなく何が起きたか理解していました。
何も知らなかった幼い子どもが、いきなり被害に遭った事を考えると、どんなに混乱するのだろう・・・
仲間の話しを聴いて想像すると、心細さと恐怖と痛みとで震えている映像が浮かびます。
少しでも知識があれば、それを言葉にして大人に伝えるということができれば―
周囲の大人にも、性虐待などに対する知識があり、その子やその周りの人達にとっての最善について考えてくれれば―
いろいろな思いが込み上げてきます。
性や生に対して繰り返し教育を受け、考える機会があったなら―
その時感じた、その“心”を思い起こしてくれたなら―
もしかしたら、加害行為をせずに、踏み留まれたのでは?
そんな思いも込み上げてくる時があります。
“幼児期から年齢に応じて性教育を学ぶ”という取り組みが、少しづつ始まっていますが、どんどん広がればいいなぁと思っています。
“生”を大切にするということが、優しさや思いやり、自分を生きる強さにも繋がっていくと思うからです。
そして、それが被害者や加害者を作り出さない社会になると信じているからです。
『これまで、教育現場では「寝た子を起こすな」と生徒に十分な情報を与えず、性行為から遠ざける「純潔教育」を行うケースが多かった。 だが「日本思春期学会」理事の安達久美子・首都大学東京教授(助産学)は「若者は既に、ネットの誤った情報を大量に受け取っている。 自分や命を大切に思う気持ちを持って性を学ぶ機会は、今後もっと必要になる」と話す。』と、文中にありました。
教育現場だけでなく、世の中全体が、『隠す、避ける、逃げる』という体制を、どんどん変えていく時代になってきたのかなぁと思います。